「ジョーカー」☆過呼吸一歩手前の危険な傑作映画に2度涙する

一言で言うと危険な映画。ヤバくて過呼吸一歩手前の苦しさ。
とてもアメコミヒーローもののスピンオフとは思えない、観終わった後、後頭部を鈍器で殴られたみたいな痛みがいつまでも続く(経験ないけど)、重くて切なくて苦しくてやるせない、だけど映画として完璧で見事なまでの傑作だ。


少なくともアカデミー賞主演男優賞は間違いなし!
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「ジョーカー」 公式サイト
母を介護しながらピエロの大道芸人として生活する気弱で優しいアーサー(ホアキン・フェニックス)は、不運が続いてピエロを解雇されてしまい、失意の帰り道、地下鉄で嫌がらせをしてきたサラリーマンたちを射殺してしまう。しかし不満の高まるゴッサム街ではピエロメイクの殺人者をもてはやす機運が高まってきていた。
そんな折、自身の出生の秘密を調べていたアーサーは衝撃の事実を知ることになる。
ついにオファーのあったコメディショーへ意気揚々と出演した彼は・・・

「いつも笑顔で」と母に言われて育ってきたアーサーはコメディアンを目指していたが・・・
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人前でオカシナことをして笑いを取るのがコメディアンだとしたら、ピエロはまさにコメディアン。
じゃあ、人と違うちょっとオカシナ人を笑いものにするのは?
現代のバラエティでも良く見かけるパターンだけど、「笑い」の定義って実はとっても難しいよね。
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いじって笑いを取るのが上手いトークショーの大御所司会者をロバート・デニーロがどっしりと演じている。
面白くて笑うのとバカにして笑うのでは全く違うのに、それが良く混同されているなあとバラエティー番組を見て気になっている私。
人はこうして『人を傷つける事』に鈍感になっていくのかもしれない。
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酔っぱらったサラリーマンに絡まれ遂に爆発する・・・
悪ふざけをしてピエロの看板を壊して殴るけるをしてきた少年たちと、このサラリーマンたちはまるで一緒。
どちらも集団で弱い者をいじめて喜ぶ。
この映画のほとんどを占めているのが、この煮え湯を飲まされるような辛いシーンばかりなのだ。
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優しい気弱なアーサーがあの「バットマン」シリーズの最狂ヴィランになることを知って観ているので、いつくるかいつくるかと覚悟しているわけだけど、サラリーマンの最後の一人を追い詰めたときは、こんな奴はもっとビビらせてから殺せばいいわ!と思って見ている自分がいる。

だけどこの直ぐ後、トイレへ逃げ込んだアーサーが悠々と踊りながら、ジョーカーへの第一歩を踏み出した瞬間、私は涙してしまったのだった。この涙はいったい?
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同じマンションの女性とのデートも実は・・・
アーサーは養子ということが発覚するのだけど、彼も母と同じ妄想型精神疾患だとするとちょっと似たところがあるよね。

のちにバットマンとなるウェイン少年との関わりもきちんと描かれている。
あくまで逆恨みだったとしても、巨額の富を使って両親の敵討ちをしようとするバットマンは同じ穴のむじなのようにも思えてくる。
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みるみる変貌してジョーカーとなっていく彼は堂々として格好良くさえ見えてくる!!ホアキンの演技力が冴え渡って実に見事。
地道に1段ずつ上っていた(苦難を乗り越えようとしていた)アーサーがヴィランとなって一気に転げ落ちて行く様子をこの階段で象徴的に表現しているところも秀逸。

ラスト、暴漢たちに担ぎ上げられ遂に『ジョーカー』が誕生した瞬間、私はもう一度涙した。
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弱者がカリスマとして(念願の)注目を集めることが出来たこの瞬間をハッピーエンドと捉える人はまず居ないと思うけど、バットエンド好きの私でも流石に余韻が辛いと感じたのは、この物語がアメコミヒーローものを逸脱してリアルな社会派の物語になっていたからに相違ない。

ただのモンスターと思っていたからこそ、バットマンに倒されてスカッとしていたDCヒーロー映画のヴィランは、この映画でもう誰がなってもおかしくない一般の人になってしまった。
美しい曲と共にジョーカーへと変貌してしまったアーサーの哀しき結末に、思わず涙した私の感情は間違ってはいないと思うのだ。


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