「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」☆映像に釘付け

男性版「ブラック・スワン」というべきか。
常に極限に居ることを強いられる人たちにとって、一部の癒しもないヒリヒリした日常から、遂に到達した念願の高みと究極の安らぎの世界。
「ブラック・スワン」はハッピーエンドと感じた私がやや戸惑うラストも、もしかすると役者が望む最高のエンディングを自ら歴史に刻んだという意味でハッピーエンドなのかもしれない。


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「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」 公式サイト

<ストーリー>

かつて「バードマン」というヒーローを演じて一世を風靡したリーガン(マイケル・キートン)は、すっかり落ち目になった今、自ら脚色・演出・主演の舞台をブロードウエイで上演し、再び喝采を浴びようとしていた。
しかし採用した実力派俳優マイク(エドワード・ノートン)ばかりが脚光を浴び、娘との溝も深まることで次第に追い詰められ・・・・


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資金的にも苦しい、私生活も息詰まる・・・・特別にリーガンだけのことではない

一度大成功したからこそ・・・・の苦悩は大きいに違いない。
しかし資金的に乏しい(又は借金に追い回されている)、社会的に認められていない(または仕事がない)、家庭もうまくいかない(または誰からも相手にされないと思っている)人は、現代社会においては少なくないはず。

全編に渡って鳴り響く、激しく鼓動を打つようなドラムの音が見ている我々の心も掻きむしるのだ。

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ヤク中でリハビリ中の娘サム(エマ・ストーン)は反抗的だけど、ずっと父親を求めていた

寂しさのあまり父親と同世代の共演者マイクを誘惑するサム。
ヤク中を克服しようと努力しているサムのその根本に求める愛に気付いた時の父レーガンの表情、
一方再起を狙って足掻くレーガンの苦悩を初めて「正しく」理解した時のラストのサムの表情。

観終わったときの「・・・・・・・え?」な気持ちも、反芻するほど深く胸に迫ってくるように変わってくるくから不思議。

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劇中劇のレイモンド・カーヴァー原作「愛について語るときに我々の語ること」は、なかなかに難解

そもそもレイモンド・カーヴァーもその原作も知らないので、マイクではないけれど『語るときに語る』と繰り返し『語る』が出てくる劇がどんな意味を持たすのか、私には判らなくて~~

しかし稽古→プレビュー→本番と繰り返し出てくる同じ劇中劇のシーン、
さらに劇中でマイクに重複する部分をカットされてしまったこの舞台の原作は、そもそもオリジナル原稿が編集者によって大幅にカットされて発行されたというのだから、この執拗に『繰り返される』べき舞台が、ある意味レーガンが目論む『再び脚光を浴びる俳優人生』を暗喩しているのかも?と思ってみたり。

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アカデミー賞撮影賞も受賞したのが頷ける

全てを1カットで撮影したかのような、つなぎ目の判らない撮影方法は、想像以上に見事!
特に驚いたのは、控室で多用される鏡に映った人物を撮影するシーン。
カメラは明らか鏡に映った人を映して、じわじわと横移動していくのに、カメラは鏡に映らない。
カメラが鏡に映ったところで繋いでいるのだろうけど、それにしても自然ですごい!!

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冒頭からいきなり始まる超能力のシーンにビックリ

物を念力で動かしたり麻原ばりに空中浮遊したり、自由にNYのビルの間を飛び回ったり・・・
バーで会った批評家にボロカスに言われて反論するも、一刀両断にされる辛い現実。
超能力が使える全能感との対比が、薄氷の上を歩くかのような緊張感を生み出す。

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常につきまとうバードマンの影

いつも聞こえてくるバードマンの声。
リーガンが遂に望んでいた物を全て手に入れた時、バードマンに支配され、バードマンに煽られた人生を、彼はようやく手中に取り戻す。
バードマンが達成感からかほっとして(?)小用を足している間に、彼は自らの意思でバードマンの仮面を脱ぎ捨て、本物の鳥人間(バードマン)になったのだ。



「バードマン」にせよ「ブラック・スワン」にせよ、鳥とういものは、何か人間の精神状態を表すメタファーなのだろうか。
いずれにしても保険には入っておいた方がいい。

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TOHOシネマズ新宿のゴジラと、通路に飾ってあったバードマン
いずれもヒーローね☆

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