「それでも夜は明ける」正義の危うさ

アカデミー賞作品賞を見事勝ち取った作品は、映像も素晴らしい、役者の演技も本当に素晴らしい、テーマも見事だ。
場面展開もよく、134分の長さも感じさせないストーリーは、観る者の心をつかんで離さない。



未だかつて誰も描かなかった、真実ゆえの衝撃
とキャッチコピーがあるけれど、奴隷をテーマにした映画って今まで無かったんだっけ?
といぶかしく思ってよく考えたら、私が子供の頃テレビで見て、以後、奴隷・黒人・格差・差別などをテーマにした作品に心酔していくことになった映画「ベン・ハー」と「ROOTS」は、そういえばローマの話とテレビシリーズだった・・・・


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「それでも夜は明ける」公式サイト

<ストーリー>
1841年、ニューヨークで自由黒人として家族と幸せに過ごしていたバイオリニストのソロモン(キウェテル・イジョフォー)は、ある日騙されて誘拐され、奴隷として売られてしまう。
選民思想を持つ白人らに過酷な差別、虐待を受けながら11年と8ヶ月26日の間、再び妻と子供に会うために何度も知人に手紙を書こうと画策するのだが・・・


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ソロモン一家はNYで優雅に暮らしていた

そもそも南北戦争もまだのこの時代に、自由黒人って何?
歴史苦手な私が、冒頭からひっかかったこの「自由黒人」というキーワード。
これを知るには、きちんとアメリカ合衆国の黒人奴隷と南北戦争について勉強せねば・・・と調べてみた。

1600年代、バージニアに着いた損傷したオランダ船に乗せられていたアフリカ人奴隷が食料などと交換されたのがはじまり。
その後、バージニア植民地で多くの労働者を必要として連れてこられたアフリカ人は年季奉公として働き、年季が明けたら開放されていた。
年季の明けた黒人の中には、同様に奴隷を雇い農園を持つものもいた。

その後、年季が明けて土地を分けることや貧困農民による暴動を恐れて、黒人従者を「奴隷」とする方向へ転換していき、以後1865年南北戦争が終結するまで南部では奴隷制度が続いた。


つまり1600年代に年季が明けて自由となった黒人が、自由黒人として代々生活していたってわけ。
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名前も奪われ、「奴隷のプラット」として12年生きることに・・・

目を背けたくなるような激しい虐待は、ムチ打ちどころかとげの付いた板でたたくシーンから。
犬・家畜扱いというけれど、家畜にだってこんな酷いことしないよね。

ただしウィキに載っている開放された奴隷の写真を見ると、さらにもっと酷い状態・・・・・映画よりむごい現実って!
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ウィキ「アメリカ合衆国の奴隷制度の歴史」より

思わず顔をしかめて観てしまうシーンが多いけれど、やっぱり首をくくって丸一日吊るされていたシーンは、一番苦しくて苦しくて・・・

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有能なプラットは農場主のご主人様(ベネディクト・カンパーバッチ)から気に入られたが・・・・

特にひとくせあるベネ様だから、もっと酷い農場主をやるのかと思ったら、案外優しい人だったり。
それにしても自分が雇っている白人大工をもっと抑えられないものなのかしら??

有能でも標的にされ、無能でも虐待される。
教養があることをひた隠しにして生きなければ、殺されてしまうけれど、バイオリンの才能が身を助けているのも事実。

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何度も逃げ出そうと画策するのだが・・・・

2人目のご主人は広大な綿花畑を持つエップス(マイケル・フォスベンダー)で、激しい選民主義。
奴隷に対して理不尽な扱いをしているようでもあり、どこか可愛がっている様でもあり。

仕事の遅い奴隷に対し、毎日ムチを打つお仕置きは酷いことだけれど、バイオリンも弾けて大工仕事も有能なプラットは、何で何年も綿摘みやっているのに、一向に仕事が速くならないのかしら???

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ご主人のお気に入りのパッツィー(ルピタ・ニョンゴ)に、奥様は辛く当たり・・・

黒人監督が描く、奴隷として生きた12年間をあきらめずに行きぬいた男の話。
正直私は監督が黒人だと知って観ていたのに、おや?と思ったのだった。
それとも逆に彼が黒人だからなのかな?

もっともっと白人を憎々しげに描きそうなものなのに、意外とそうでもない。
かわいい奴隷女にご執心の夫に焼きもちをやき、黒人娘に仕打ちをするのも、思うようになびいてこないお気に入りと妻との間で揺れるエップスも、どこか血が通っている人間であって実は冷血な鬼としては描かれて無い。(もっと酷く描かれている映画はいくらでもあったし)
ベネ様演じる農場主しかり、ブラピ演じるカナダ人大工しかり。

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あれだけご執心のパッツィーをなぜムチ打つのか?

ご主人様の愛人となる道を選ばなかったパッツィーへの「可愛さ余って・・・」なのか、単なるSなのか、妻の前でのパフォーマンスなのか?
「楽しいいからだよっ!」と言うエップスだったが、私にはそれは本心には思えなかった。


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ちょこっと出てきて、ものすごくいい役のブラピはプラットを救い出すカナダ人

最後は彼一人助かる。
じゃあ、自由黒人でなかったら?学の無い元から奴隷なら?実は私はこの点にすごく引っかかってしまった。



この映画は「最後までプライドを捨てずに諦めずに生き抜いた」というソロモンの生き様を描いたのは、ほんの映画の一面であって、実は『正義が危うい』ことを描いていたのではないかと私は思うのだ。

2度出てくる拉致される前にソロモンが雑貨屋で買い物するシーン。
ここには同じ北部に住みながら、使用人として自由が与えられてない黒人が、羨ましそうにソロモンを見ている様子が登場する。
事実2度目の雑貨屋では、白人に連れられた使用人からの目線になっている。
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過酷な人生を送って始めてソロモンは、自分が「愛人として地位を確立して黒人の使用人まで使って生活するショー様」同様に、ためらいもなく奴隷を使う立場になっていたかもしれない事に気づいたのではないだろうか。
逆に言えば、それまではこの件がなければ、『使う者と過酷に使われる者が存在する事』に違和感を覚えることも無かったのかもしれない。

12年ぶりに再会した家族の前で「すまない・・・許してくれ」といつまでも泣いていたのは、助けられなかった黒人たちに対する様々な思いが溢れたからだと考えたら?

これがエンドロールのテロップに書かれた「のちにソロモンは地下活動で黒人を北部へ逃がす活動をした」というのに繋がっていき、実は映画の本来言いたかったことだとしたら?

この映画が単純な『奴隷から生還した男のサバイバルな物語』だけなのではないのなら、はじめて私は本当に素晴らしい映画だと心から絶賛したいと思うのだ。



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